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エマオにて、、。ルカ書24章・・ ふたりの弟子は誰だったのでしょう。

2016-06-13 Mon 00:53

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十字架から3日めにイエス様は
エマオに向かう弟子に現れた
少し長いけど読んでみましょう。
途中解説を入れています。

ルカによる福音書/ 24章 13節~
ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、
この一切の出来事について話し合っていた。

六十スタディオンというのは約11キロです。
それほど遠くはありません。

二人の弟子とはでだれでしょう?

ひとりはクレオパでした、もうひとりは誰なのでしょう?
聖書は、はっきりとは書いていません、

ある美しい回答があります。

もうひとりは、あなた方クリスチャン、
ひとりひとりのクリスチャンである

「あなた」 です。

キリストと一緒に歩んでいく、あなたです、、と。

良い回答です、美しい。

しかし、その時、実際の人は?が
今回のテーマなのです、、。

それは、記事の後半で、、。


話し合い論じ合っていると、イエス様御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
しかし、二人の目は遮られていて、イエス様だとは分からなかった。
イエス様は、「歩きながら、やり取りしているその話は
何のことですか」と言われた。

まだ、霊の目が開かれていないのでした。


二人は暗い顔をして立ち止まった。
その一人のクレオパという人が答えた。
「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで
起こったことを、あなただけは
ご存じなかったのですか。」

聞いてもいないのにエルサレムに滞在していたことを
当然の前提として話していたのは、過ぎ越しの祭りがあっていたのでユダヤ人なら当然巡礼し、エルサレムに宿泊していたはず、という理由からです。

イエス様が、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエス様のことです。

この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。
それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、
死刑にするため引き渡して、
十字架につけてしまったのです

聖書はクレオパの口を通してイエス様の十字架は
祭司長やサンヘドリンの議員たちに原因があると
言わしめている。


わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。

イスラエルを解放してくださると
望みをかけていました。とは?

 彼らのメシア観が見えます、ローマの支配から
解放してくれるのがメシアだと、。そしてメシア観の齟齬からクレオパが失望していた事がうかがえます。
期待をしていたのに、そうではなかった、、と。
これは本当の信仰からずれていて、まだイエスさまが真のメシアだったことに気づいていないことを表しています。

ところが、仲間の婦人たちが
わたしたちを驚かせました。婦人たちは
朝早く墓へ行きましたが、
遺体を見つけずに戻って来ました。
そして、天使たちが現れ、『イエス様は生きておられる』と告げたと言うのです。

天使たち、というので複数の天使が存在したのですね、それは契約の箱に付けられた

ケルビムの実体現れたのです。


仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」

そこで、イエスは言われた。
「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの
言ったことすべてを信じられない者たち、
メシアはこういう苦しみを受けて、
栄光に入るはずだったのではないか。」

真実な信仰を見失っているクレオパたちだったので
イエス様は、
「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者」だと言われたのです。


そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを
説明された。

イエス様ご自身で、自身を聖書によって証したのです、
本来なら、メシアへの道をまっすぐにすべき
エリヤの再来であった洗礼者ヨハネの
仕事だったけれど、

ヨハネは帰天していたので、自身で証しされた。

命の木はイエスさまの比喩でした。

命の木への道はケルビムによって閉ざされたと
創世記で記録されたけれど、像で造られたケルビムの実体の天使が出現し
天使がキリスト・イエスさまの所在を明らかにしたことは
閉ざされた道が開かれたという奥義があった。


一行は目指す村に近づいたが、イエス様は、なおも先へ
行こうとされる様子だった。

二人が、「一緒にお泊まりください。

そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、
無理に引き止めたので、イエスは共に
泊まるため家に入られた。


一行とはクレオパともうひとりの事です、ふたりが
イエスさまにその地でお泊りくださいと言っているので、

二人の弟子の住居が

ここにあることがわかります

弟子ふたりが当然のごとくそこに泊まるのだから、

このふたりは、

家族であるのがわかります。

ここが人物特定の鍵です。

クレオパはイエスさまの養父ヨセフの兄弟でクレオパの息子にシメオンがいました。イエス様とは法規上では
従兄(いとこ)です。クレオパの妻はマリアでした。

マリアという名は新約聖書では複数ありますが、イエス様の母マリアではありません、当たり前ですが、、。

で、エマオのふたりとは、クレオパとその妻または子の
シメオンであったはずです。
二人の内、子のシメオンかマリアか?

エマオのふたりは議論していたというのです、
その議論も熱を帯びた激しい議論だったのです。

子が親に熱を帯びた激しい議論は
あまりしないでしょう?
当時、家での父の権威は大きなもの、
妻もそうは議論しないかもしれませんけれど、
十字架を見て大いに憤った後なので熱を帯びた
議論を行ったのでしょう。

それで、どちらか?と言うなら、。

妻マリアだったでしょう。


つまり、エマオのふたりとは

クレオパとその妻マリアで

す。



一緒に食事の席に着いたとき、イエス様はパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。

彼らはイエス様からパンをいただいた時になって霊の目が開いたのでやっとイエス様を認識できました。

鈍いですね、。

霊の目が開かなくても話ぶりや内容から
その人が、誰なのかがわかるはずなのです。

しかし人はなかなか、気づかない、、。

話して聞かせている人が

誰だか、

気づかないものなのですね。


二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。







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